SW Sound Trackジョン・ウィリアムズについて

JW Photジョン・ウィリアムズは1932年2月8日、ニューヨーク州ロングアイランド生まれ。
父親がスタジオ・ミュージシャンだった関係で幼いころより、音楽に慣れ親しみました。特にジャズには強い興味を覚え、それは後の彼の作風に大きく影響しました。やがて彼は高校に進み、ここではブラスバンドに参加、さらに戦争の影響で軍隊に入隊した時にも、軍隊の音楽長を勤めました。
戦争が終わって、彼はUCLA(カリフォルニア大学 ロスアンゼルス校)に進み、大学を卒業後、音楽の名門であるジュリアード音学院へと入学し、ロジーナ・レヴィン女史につき、ピアノを本格的に学びました。彼はクラシックのコンサート・ピアニストに成ろうと一生懸命勉学に励んだのです。一方、学費を稼ぐために、夜はキャバレー等で働き、バンドとともにジャズを弾いていました。やがて音学院での生活も終わりに近づき、彼は先生から呼ばれました。それはとてもショックなことでした。あなたの才能ではコンサート・ピアニストとして食べてはいけないということを知らされたのです。しかし。彼の不運はこの時だけでした。いわば、これが不幸中の幸いだったのです。
卒業後、キャバレーなどで知り合った仲間とともに、ジョン・タウナー・バンドを結成。意欲的に歌手等のレコーディングに参加しました。彼と共演した歌手にはローズマリー・クルーニやジョニー・マティスなどの大物も多く含まれていたのです。やがて彼は結婚(高校時代、バンドと共演したチアガールだった)したのをきっかけに、稼ぎをよくするためハリウッドへ向かいます。彼はスタジオ・ミュージシャンになろうとしていたのです。この頃ハリウッドにはまだ、各映画会社に専属のオーケストラを置いていました。運よく彼は20世紀フォックスのオーディションに受かり、ピアニストとして入団しました。当時の音楽監督は、あのアルフレッド・ニューマンでした。彼はディミトリ・ティオムキンら巨匠と仕事をいくつもしました。そんな中でいくつかスコアの作曲を手伝ってほしいといわれ、この時ばかりはと飛びついたのでした。そして1963年のチャールトン ヘストン主演の映画『ダイヤモンド・ヘッド』で一人立ちしたのです。
また、この頃から急成長したテレビ界へと入っていくのでした。テレビの彼の仕事はアーウィン・アレンが製作したSFシリーズが有名なところでしょう。ウィリアムズは『タイム・トンネル』『宇宙家族ロビンソン』『巨人の惑星』のテーマ曲と、中のいくつかのエピソードの音楽を手がけました。後にアーウィン製作の映画にも彼は呼び寄せられたのです。それが『タワーリング インフェルノ』と『ポセイドン アドベンチャー』だったのです。また、このテレビ時代というのは、コメディ音楽をよくやった時期でした。しかし彼はあまりこの時代の作風には感心しないそうです。なにせ作りが安っぽかったからです。そんな中でもヘップバーンの『おしゃれ泥棒』は非常に素晴しい音楽でした。コミカルな音楽のなかにシンフォニックなものが息づいて、素敵なコメディ・ミュージックを聴かせていたのです。
さて、その後に同じジュリアード出の監督、マーク・ライデル作品を何本か担当します。作品ははジョン ウエイン主演の『11人のカウボーイ』、スティーブ マックイン主演の『華麗なる週末』でした。後にこれらの音楽を賞賛する監督が現われました。これが今のウィリアムズの人気を左右するほどの人物だったことは間違いありません。そうです、スティーブン スピルバーグです。
彼は昔からの大のサントラ・ファン。数多くの巨匠のサントラを収集していました。スピルバーグは、『11人のカウボーイ』のサウンドに惚れてしまったのでした。そして彼は次回作の「続・激突カージャック」でウィリアムズを器用することを決めたのです。その後は『ジョーズ』『E.T.』「レイダ-ス」シンドラーのリスト」等のヒット作品をなどのヒット作品を生んでいるのはご存時の通りだと思います。また、スピルバーグの紹介で、ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」を担当、映画史に記録的な偉業を埋め込みました。今や映画音楽の巨匠として君臨することになったのです。
現在までにアカデミー賞ノミネート38回、受賞は5回(『屋根の上のヴァイオリン弾き』/『ジョーズ』/『スター・ウォーズ』/『E.T.』/『シンドラーのリスト』)という快挙を成り遂げています。
その他の代表作として『7月4日に生まれて』『セブン・イヤーズ・イン・チベット』『スペース・キャンプ』『ニクソン』『サブリナ』『JFK』『推定無罪』『大地震』『プライベート・ライアン』などがあります。
また、1980年より、ボストン・ポップス(Boston Pops)の音楽監督を93年まで勤め、映画ファンはもとより、多くの人々から支持を受けました。同オケの公演で、87年、90年。93年の3回日本に来日し、日本の聴衆を唸らせたのでした。勇退後も、名誉音楽監督としての地位を受け、度々ボストン・ポップスを振っています。
 さらに純音楽にも才能を発揮し、式典音楽、二つの交響曲、ヴァイオリン、フルート、チェロ、トランペット、チューバなどの協奏曲があります。とりわけ、オリンピックのファンファーレは有名。84年のロサンゼルス大会を始め、ソウル、そして昨年のアトランタと、素晴しい曲を書き上げています。ですから、今や、アメリカを代表する現代作曲家としても確固たる地位を築いています。

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